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 青い林檎


   夜中、物音に目を覚ます。
   それは、とても小さな音だったが、自分には何か知らせるような、
   そんな音だった。
   寝室から廊下に出ると、窓際に人影が見えた。
   月明かりに映し出される表情は、いつもの明るい表情には見えない。
   それは、部屋の中が暗いせいではなく。
   「、起こしちゃったさ?」
   静かな、声。

   先の大戦で全てを失った彼は、それ以来酷く沈んで。
   弟の前では明るく振舞っていても、どこか遠い目をしていることがある。
   自分には、それをどうすることもできない。
   そんなもどかしさを感じたのか、天化は少し心配そうに顔を覗き込む。
   「もお腹減ったさ?」
   は?お腹?
   天化はがさがさと後ろに持った紙袋から林檎を取り出す。
   「俺っちも腹へっちまって、眠れなかったんさ。」
   「も?」
   天化は照れくさそうに、林檎を一個投げて寄越した。
   「口止め料。」
   台所から黙って食料を持ち出した非を詫びるように、頭をかきながら。

   しゃり、という音が、静かな廊下に響き渡る。
   その静寂を破ったのは、天化の方だった。
   「そういや、昔、コーチが言ってたっけ。林檎は禁断の木の実だって。
    どうしてか、教えてくれるさ?」
   答えは簡単。知恵の実だから。
   人は、知恵を持つと、良くない事の方が多い。
   知らなくていいことに気がついてしまったり、人を傷つけてしまったり。
   何も知らない、子供のままでいたかった。
   天化も、何も知らない子供のままでいて欲しかった。
   そう思うのは、自分の勝手だとしても。

   「そっかー、知恵の実なんさ。俺っちなんか違うこと考えてたさ。」
   「違うこと?」
   「うん。食べたらさ、なんでも思ってることべらべらしゃべっちまうような。」
   天化の発想に思わず苦笑する。
   まだ、子供らしい発想を持っていたことに対しても。
   「でも、それも、なんかアリかな、って気がするんさ。この林檎食べていたら。」
   天化の思っていることってなんだろう。
   促すように、目を見つめる。
   それに対して、天化は少し屈んで。
   そっと自分を抱き寄せた。

   「ちょっとの間だけ、こうしてても、いいさ?」
   なんだろう。天化の腕が震えているような、気がした。
   手の中にいるのは、不安そうな、子供。
   知らない事をたくさん知ってしまった。
   自分の意のままになることなど、ほとんどないと言う事も。
   たくさんの夢も、希望も、握りつぶされて。
   そっと、天化の髪を撫でつける。柔らかな黒髪が、月明かりに光る。
   「そんなこと、されたら、言わなくていいことも、言っちまいそうになるさ。」
   言わなくて、いいこと?

   「。」

   そう、一言言い残し、天化は体を離した。
   耳元に聞こえたその言葉に、思わず林檎を取り落としてしまう。
   拾い上げようと屈んだ時、既に天化は後ろを向いていた。
   その言葉の重みに気がつかないまま、天化の後姿を見送ってしまったことを、
   今は、後悔している。
   そして、林檎を見るたびに、思い出すのだ。
   あの小さな震える子供の体温を。
   手の中からすり抜けてしまった、小さな果実を。



  ドリーム小説天化編。ちょうど仙界大戦の直後くらいの話です。


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