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 音の囁き


   「。」
   放課後、廊下を歩いている途中、誰かに声をかけられた気がして、
   ふと足を止める。
   今日は、テスト前という事で、部活動もなく、生徒の数もまばらだ。
   そんな中で、自分に声をかけた人物を探すのは、容易ではある、が、
   どうも長い廊下の隅々まで見渡しても、その人物の姿は捉えられない。
   「おかしいな…。」
   きょろきょろと、辺りを見回しても、それらしい人物はいない。
   諦めて、自分も早めに帰宅しようと、また歩き出そうと踵を返す、と。

   音がした。
   正しく言うと、ピアノの音が。
   吹奏楽部も今日は練習はない、と部員のクラスメイトが言っていた。
   第一、吹奏楽にピアノは使わないし。
   でも。
   その「呼ぶ声」がピアノの音と混ざって聞こえてくる気がして、
   自分は駆け出していた。
   音のする音楽室の方へ。

   音楽室の前に来ると、確かに音はそこから聞こえてくるようだった。
   そっと、音の主を確かめようと、音楽室の引き戸を滑らせる。
   中には、自分のよく知る人物がいた。
   光に透かすと銀色に光る独特の髪の色、伏せた睫毛が意外と長い。
   長身の彼は、指先もすらりとしていて、その長い指先から、先ほどの音は
   繰り出されている。
   「…?」
   邪魔をするつもりは毛頭なかったけれど、自分の知る人物とのギャップに、
   思わず呟いてしまった。
   ピアノの音にかき消されるほどの声は、彼の耳に届いたらしい。
   「あっ!っ!!」
   自分の知る、いつものの顔になる。
   なついてくる子犬のような。だいぶ大きい犬だけれども。

   「、いつから…。声、かけてくれればいいのに。」
   彼はピアノの手を止めて、にこにこと話し掛けてくる。
   見とれていたと思われるのも少し恥ずかしくて、「たった今。」とだけ答えておく。
   見つかってしまったので、入り口に立っている訳にも行かず、音楽室の中へと入る。
   音楽の授業以外に、あまり好んで入りたいとも思わないところではあるけれど。
   なんといっても、回り中に、古めかしい人物の肖像画が飾られているのが不気味だし。
   よく怪談に使われている、そのうちの一つが夜中に笑うとか、そんなことを考えると、
   あまり好ましい場所には思えない。
   だけれども、何故か今はそんなことは気にならなかった。

   「って、ピアノ…弾けるんだ。」
   彼は何故か、ぱっと頬を染めて、ピアノの鍵盤を指でなぞった。
   「いつもは家で弾いてるんだけど、さすがにテスト期間中にはちょっと…。」
   それで、家に帰る前に弾いていたと言う訳か。
   クラシックって、とっつきづらいような気がしていたけれど、彼の弾いていた音楽は、
   優しい音がした。
   そう言うと、彼はまた頬を染めて、嬉しそうな顔をした。
   「クラシックも楽しいですよ。」
   本当に好きなんだな、と思わせられるような微笑に、彼にもう一度何か弾くように
   促した。
   なるべく自分の知っていそうな曲を。

   「じゃあ、これ。」
   彼が、ゆっくりと弾きだした曲は…。
   「胃薬のCM?」
   どこかで聞いたことがある、と思ったら、コマーシャルで使われている曲だった。
   「あはは。そう。」
   弾きながら楽しげに答える。
   「意外と身近にもクラシックってあるでしょ?これはショパンの『プレリュード』
    作品28の7番イ長調。」
   「イ長調だから、胃薬?」
   「そうかも。あははっ。」
   クラシックを弾く人間に対して、くだらないギャグか、と思ったら、
   意外に受けがよかった。

   「音楽を聴いていると、楽しい気分になるんです。自分の心が表現できるというか…。」
   今度は、明るい弾けるような曲調の曲を弾きながら、彼は言った。
   弾きながら会話できるのは、かなり熟練していないと出来ないと聞いたことがある。
   自分にはよくわからないが、技術的にも彼のピアノは上なのだろう。
   「テニスと違う?」
   「うーん。テニスも同じかな。相手の気持ちのキャッチボールが出来る分、
    テニスの方がいいのかもしれないけど。」
   「受け取る相手次第ってこと?」
   彼は、黙って頷いた。

   「さっきの曲…。もう一度弾いてくれないかな。」
   「え?」
   「なんだか、さっきの曲に呼ばれたような気がして。」
   彼の心が表現できるというならば、さっきの曲は、自分の心に響いた。
   何故かはわからないけれど。
   「じゃ、じゃあ、弾きますよ。」
   やけに動揺しながら、彼はまた鍵盤に指を置く。

   ああ、この曲。
   さっき、自分を立ち止まらせたのは、この音。
   まるで、雲の中にいるような、軽い気持ちになれる。
   音の翼に乗せられているような。

   聞き入っていると、1曲弾き終わった彼が、ふっと息を吐いた。
   思わず、拍手をしてしまう。
   「よかった。これなんて曲?」
   機会があれば、CDショップで探そうと、聞いてみる。
   「Je te veux」
   「え、ええ?も、もう一回。」
   いきなり英語で言われてもわからないのだけれど。
   「エリックサティの『Je te veux』って曲です。」
   英語ですらないような気がする…。
   「日本語訳は?」
   「言えませんよ!!そんなこと!!」
   いきなり立ち上がり、大声を出されてびっくりする。
   「え?」
   「あ…いや…。」
   大きな声を出した事を恥じるように、唇を抑えて、下を向く。
   下を向いても、この長身では顔を隠す事はできない。
   うわ、顔、真っ赤。

   「わ、わかったから、もう一度、弾いてくれる?」
   「あ…はい。」
   ちょっとかわいそうになったので、話をそらそうと、再度、椅子に座らせる。
   ゆっくりとした曲調は、やはり心地よい。
   「音楽って、本当に伝わるんだ…。」
   「え?」
   弾きながら漏らした声に、問うてみる。
   「いや、その人のために弾いていたら、その人が来るなんて、思わなかったから。」
   「え?」
   おかしなことを言い出す

   後日、CDショップで、日本語の訳を知った自分は、その時の彼のように、
   真っ赤になってしまった。
   結局、買ったCDは、あの心に響いた曲とは違った。
   いや、曲は同じなはずなのに。
   自分の心に響いたのはあの曲。
   夕暮れの光の中で、揺れる銀糸の髪。
   長い指から繰り出されるあのメロディ。
   それだけが、繰り返し、繰り返し、波のように寄せて来る。
   彼の心の囁きが。   





  鳳長太郎編。ゲームで言っているのは、この曲なのではないかと見当をつけてみる。
  日本語訳の詞もついているので、気になる方は是非。


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