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 紅茶の午後


   日曜日の雑踏の中、意外な人物を見つけた。
   意外、という程のことはないけれど。ただ、こんな街中の雑踏の中に、
   人に埋もれるようにして、佇んでいるのが意外だというだけで。
   普段、自信に満ち溢れているのに、人の波にあると、心細げな風情がある。
   人に触れるのが嫌らしく、か細い体で、他人の波を避けながら、注意深く歩いている。
   と、むこうもこちらに気がついたらしく、さらりと、前髪をかきあげ
   ゆっくりと近づいてきた。
   まるで、迷路で子供が出口を見つけたかのような笑顔に、少し翻弄される。
   「ではありませんか。どうしたんですか?」

   どうした、はこちらの台詞だったのだけれど。
   逆に問いただすと、彼は、肩を竦めて、こう答えた。
   「僕ですか?僕はどうしても必要な買い物があったもので。
    こんな人の多い日に出歩くのは、あまり好きではないんですがね。」
   そんな感じはする。
   元々、東京から離れたところから来た、ということで、人込みは苦手だと
   聞いた事がある。
   よほどの用事がない限り、休日は街中には来ない、と。
   「何が楽しくて、こんなに人が集まっているんでしょうね。」
   不満げにもらす彼とは裏腹に、自分はこの偶然に感謝していた。
   予期していない時に会えるというのは、なんだか嬉しいものだし。
   それも、自分が普段から意識している人と。
   なんといっても、彼の行動は見ていて飽きないものであるし。
   「せっかくこんなところで会ったんですから、お茶でもいかがです?」
   思わぬ誘いに、一もに二もなく了承する。
   偶然の出会いに感謝しながら。

   と、喜んでいたのは、一瞬の事だった。
   彼の後についてやってきた喫茶店に入って、少し後悔した。
   カントリー調の家具に、チェックのテーブルクロス。
   少し少女趣味ではないかと思われる、飾り付け。
   ウインドウのケーキが美味しそうに並べられているところからすると、喫茶店である事は
   間違いなさそうだ。
   てっきり、スタンド式のコーヒーショップあたりを想定していた自分は、
   きょろきょろとあたりを見回してしまう。
   「紅茶専門店なんですが…。お嫌いではないですよね。」
   なんでも、街中の割に、美味しい紅茶を出す店らしい。
   彼は、休日以外の日にはよく来ている、ということで、慣れた感じで窓際の席に座った。
   奨められるまま、木製の椅子に腰掛ける。

   だが、白いフリルのエプロン姿のウエイトレスに渡されたメニューを見て、
   また後悔の波に襲われる。
   何が書いてあるのか、わからない。
   白いメニューの上には、聞いた事もない文字の列が、縦一列に並んでいる。
   いや、紅茶専門店であるからして、紅茶ではあるのだろうけど。
   ダージリン、アッサム、ディンブラ、キーマン、ウバ。
   何がどう違うのかすらわからない。
   「どうしました?。」
   不思議そうな顔で、彼が聞いてくる。
   まさか、何がなんだかわからないとは到底言えない雰囲気で。
   彼と同じものを、と言えばいいか、という浅はかな考えは、破られてしまった。
   「ここの紅茶はポットで来るんですよ。違うのを頼んでお互いのを味見してみませんか。」
   などと言い出したりしなければ。
   困った。何を選んでいいのやら。

   ほどなく、ウエイトレスが注文を取りに現われた。
   「僕はニルギリを。」
   メニューを綴じながら、彼はそう言うと、自分の方に、注文するように、と目で促した。
   「あ、ダージリン。」
   とりあえず、メニューを見ながら、注文する。
   「は見る目がありますね。ここのダージリンは絶品ですよ。」
   まさか、メニューの一番上にあった、とは言えずに、黙って頷く。
   やはり、メニューの一番に載っているということは、おすすめなのだろうと
   見当をつけたのは当たりだったようだ。
   第一、彼が注文したものもよくわからない。
   オニギリならわかるけれども。
   「ウインナコーヒー」にソーセージがついていないことから推測するに、多分、
   オニギリがついているわけでもないだろう。

   「でも、よかった。君が注文したのがダージリンで。スパイスティは香りが苦手なんですよ。
    香料があっては紅茶本来の味がわかりませんからね。」
   香料がなくてもわかりません。
   あわせて、ウインドウに飾られていてやけに美味しそうだったケーキも注文する。
   これは、ウエイトレスが盆の上に実物を持ってきて見せてくれたので、
   安心して注文できた。
   ダークチェリーのパイ。彼は季節に合わせたモンブランを。
   ウエイトレスが下がると、彼はやけに嬉しそうに、微笑んだ。
   「なかなか平日は来る機会がなくて。今日は、君に会えてよかった。」
   そんな嬉しそうな顔されると、困る。
   会えてよかった、なんて言われると、ますます、困る。
   嬉しいのが自分に会えた事なのか、お気に入りの喫茶店に来られた事なのかは、
   判定が難しいところだけれど。
   まあ、それはそれで、よしとしよう。

   お湯の沸くのに時間がかかる、と言っていたのは本当で、やけに長い時間待たされる。
   その間、彼の語る紅茶の話に耳を傾ける。
   なんでも、沸きたてのお湯でないと、美味しいお茶が入れられないらしい。
   なので、客が来てから、お湯を沸かし始めるそうだ。
   「ここのダージリンは、瑣末なブレンドではなくて、本当に美味しいんですよ。」
   普段は、きつい事もいう人ではあるけれど、気分のいい時は、
   本当に幸せそうな顔をしている。
   なんだか、自分も嬉しくなるような。
   紅茶を待ち遠しげにして両手の上に顎を乗せたポーズの彼は、なんだか妙に可愛らしい。
   まもなく、ウエイトレスが、可愛らしい布に包まれたポットを盆に載せて、
   現われた。
   どうやら、その布は、ポットを暖めておくためのものらしい。
   彼のする通りに、布を外し、紅茶をカップに注ぐ。
   あらかじめカップも暖められていたらしく、触ると暖かいのに驚いた。
   なにもかも始めての試みは、なんだか楽しい。
   楽しいのは、それだけが理由ではないけれど。

   「ああ、いい水色ですね。」
   紅茶を注いだカップを眺めながら、彼は微笑んだ。
   「水色?」
   どうみても、褐色にしか見えない液体を眺めながら、疑問を口にする。
   「AQUA BLUEの水色ではなくて、WATER COLOR、水の色、ですよ。」
   少し呆れたように彼は答える。
   せっかくの気分を害してしまったろうか。黙って注がれた紅茶を口にした。
   「あ、美味しい…。」
   ふと漏れた一言に、彼は嬉しそうに反応する。
   「でしょう?」
   まるで、自分が紅茶を精製したかのような喜びようだ。
   「が紅茶の味がわかる人でよかった。」
   わからないけれど。
   美味しいものが美味しい、というのはわかる。
   一緒に出されたケーキも大層美味しかった。
   ひかえめな甘さが、紅茶のほろ苦さによく合う。
   「美味しいでしょう?こんな美味しいものが飲めるなら、たまには街に出るのも
    いいかな、って思うんですよ。」
   ふわふわと湯気の向こうで、彼が微笑む。
   幸せな、時間が流れた。

   「それでは、一番美味しい紅茶というのは、何か知っていますか?」
   いきなりの質問に、幸せな時間が、飛び去った。
   緊張感があたりを覆う。ゆったりとした時間に、青天の霹靂。
   夏休み明けにいきなりテストがあるようなものだ。
   ここで、間違えた答えを出したら、どうなるのだろう。
   考えに考えた末、出た答えは。
   「これ?」
   飲んでいたカップを少し上に掲げる。
   にっこりと彼は微笑んだ。
   「そう、ですか。」
   あたりなのか、はずれなのか。
   彼の笑顔を見ているとあたりのような気がするのだけれども。
   「貴方は、これが、美味しいと思うんですね。」
   それは、間違いない。
   今まで飲んだ中で、一番美味しかった。

   「正解をお教えしましょうか?」
   もったいぶらずに、是非教えて欲しい。
   彼はなんだか妙にくすぐったそうな顔をした後、こう言った。
   「好きな人と一緒に飲む紅茶が、一番美味しいんですよ。」

   自分の顔が赤くなるのがわかる。
   これではまるで告白したようなものだ。
   今飲んでいる紅茶が一番美味しいだなんて。
   でも、本当に、それは、間違いのないことで。
   またゆっくりとした時間が流れる。
   暖かい紅茶とケーキと。
   人の食べ物をもらうのは好きではない、と言っていた彼に、自分のケーキを薦めると、
   意外とあっさりと一口食べた。
   「美味しいですね。」
   そう微笑む彼は、さっきの自分の答えを気にしてないかのようで。

   ゆっくりとした午後の時間を過ごした後、喫茶店を後にする。
   用事があるから、と違う方向へ進む自分の後ろから、小さな声が聞こえた。
   「僕もね、今日の紅茶が一番美味しかったですよ。」
   驚いて振り返ると、彼も踵を返すところだった。
   一瞬だけ見えた彼の頬が、少しだけ赤い。
   暖かい紅茶を飲んだせいだろうか。

   彼の影を見送りながら、思う。
   またいつか、彼を誘ってここに来よう。
   ゆったりとした時間を過ごす為に。        





  ドリーム小説観月はじめ編。紅茶はストレートも好きですが、フルーツ系も好きですね。


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