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 淋しい熱帯魚


   しんとした部屋の中。
   こぽこぽと、水槽から水音だけが聞こえてくる。
   部屋の隅に置かれた、大きな水槽。
   音の波と共に、水面に波紋が広がる。
   波紋と共に、ゆらゆらと水草が揺れる。
   敷き詰められた白い石に映えるような、青い魚達。

   それは、彼の作った箱庭。
   美しい世界。
   彼の心のままに、美しく整えられた世界。

   自分はゆっくりと、部屋の中を見回す。
   ここは、彼の部屋。
   初めて足を踏み入れたときは、少し困惑した。
   なにもかも、あまりにも整えられていて。
   その部屋にある全てのものが、配置先が決まっているかのように、
   整然としている。
   この場所に、自分の入る隙間はあるのだろうか。
   自分がいてもいいのだろうかと。
   そんなことさえ、思うような。

   ぱしゃり、と水が跳ねた音がして、また水槽に目を戻す。
   ゆらゆらと、美しい鱗を光らせて泳ぐ、青い魚達。
   そっと水槽に近づき、覗き込む。
   魚達は幸せだろうか?
   美しい世界に囲まれて。
   たゆたう魚達を見つめる自分の目が水槽に映る。
   魚達は我関せずで、泳ぎつづける。
   まるで、自分などそこにはいないように。

   もし、自分がなるなら、猫か犬がいい。
   ケージの要らない、自由に何処へでもいけるような。
   狭い世界で泳ぐのは、淋しすぎるから。

   「おまたせ、。」
   明るい声で、扉が開いた。
   お盆の上に、ジュースと菓子を載せた、この部屋の主が現れる。
   「何?そんなに水槽を見つめて。」
   「あ…なんでも…。」
   おかしなことを考えていた自分が恥ずかしくなり、水槽から目を逸らす。
   「そう?」
   彼の微笑みは、淋しい気持ちを吹き飛ばす。

   そう、少し淋しかったのかもしれない。
   この整然とした部屋に取り残されて。
   主の居ない部屋は淋しすぎる。
   せめて、この魚達が話せたらいいのに。

   自分が飼うなら、猫か犬がいい。
   楽しい時は、一緒に楽しんで。
   与えた分だけ、愛情が返って来るような。
   自分が好きになった分だけ、好きになってくれるような。

   「?」
   不思議そうな顔で、自分の方を見ている。
   眉間に皺でも寄っていたのだろうか。
   せっかくだから、と問うてみる。
   なんで熱帯魚なんて飼ってるのか、と。
   愛情を返してくれる生き物の方が、飼う甲斐があるのではないかと。
   彼は、不思議そうな顔で、でも笑いながらこう答えた。

   「自分が好きだから、飼うんだ。それでは、いけないかな?」

   優しく微笑みを浮かべながら。
   その言葉は、自分の心に波紋を広げた。
   水槽の中で、魚達が作る波紋のように。
   好きになってくれるからじゃない。
   自分が好きだから。
   彼の愛情は、与えられる事よりも与える事。

   「好きだよ。」
   心の中にある言葉が、口をつく。
   本当は言わないでおこうと思ったけれど、言わずにはいられない、言葉。
   「え?」
   不思議そうな顔で聞き返す、彼。
   「きっと、魚達も、好きだ…と、思う。」
   今はまだ、そういうことに、しておいて欲しい。

   「そうか、ありがとう。」
   どうして?とも言わず、頭を撫でられる。
   心地よい温もりが伝わってくる。

   整頓された部屋は、大きな水槽のよう。
   自分も、何処へもいかない。
   ここに居る。
   ここに居れば、愛情が与えられると言うのなら。
   彼が与えてくれた、この暖かな場所に。

   自分は既に、箱庭に捕らえられた、熱帯魚。
   与えられる愛にたゆたう、魚。

   



  ドリーム小説大石秀一郎編。たまにしんみりしてみるのもいいかと。


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