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 春を待つ人


   2月も終わり、そろそろ暖かい日が続くようになった。
   なのに、今日の空は、雲間に覆われていて。
   せっかくに日曜だというのに、はらはらと小雪すら舞っている。
   駅の改札をくぐる人たちは、列車を降りた先の天気に、あわてて
   傘を開き、小走りに先を急ぐ。
   ぽつり、ぽつりと開く、色とりどりの傘の花の中、灰色の空と同じ気持ちで、
   自分はただ、ぼんやりと一人の人を見つめている。
   「神尾アキラ」その人を。

   駅の改札の方を向いて立っている彼からは、駅前のコーヒーショップの入り口にある
   植え込みに隠れるように立っている自分は見えないはず。
   駅前は、人待ち顔の人でごったがえしている。
   その中で、先ほどから、彼も、待ち人を待ち続けている。
   改札の向こうから来るはずの彼女を。
   駅から出てくる人の流れに、見逃したりはしないかと、視線をそらすこともない。
   決してこちらを見ることはない。
   自分を見つめている人間がいるなどと、思ってもみないのだろう。

   小雪が肩に積もっても、振り払うこともせずに、期待に満ちた目で、
   ただ待ち続けている彼と。
   それをただ黙って見つめている自分。
   彼女が来ないことを、知っている、自分。

   もう随分前から、彼の鞄の中に忍ばせてあったコンサートのチケット。
   片想いの彼女に渡そうとしても、勇気がなくて渡せなかったチケット。
   「渡してあげようか。」なんて、そんな思ってもみないことが口をついて。
   だけど、彼女に切り出すことは出来なかった。
   何度も渡すチャンスはあった。
   だけど、その度に、彼の嬉しそうな顔が浮かんで。
   その顔は、自分に向けられたものではなくて。
   「渡せなかった」と返せばよかったものを、ずるずると、今日まで引きずってしまった。
   今日、コンサートの当日まで。

   待ち合わせに指定した時間はとうに過ぎているというのに。
   コンサートもとっくに始まっているというのに。
   彼は改札から立ち去ろうとしなかった。
   好きな人を待つ時間は、長くないとはいっても、2時間だ。
   それだけ好きなのだと、見せ付けられているようで。
   自分も立ち去ることは出来ないでいた。
   たわいもない理由で、彼を結果的に騙してしまった自分の責任を取らなければ。
   彼に謝らなければ。
   わかっているのに、先ほどから足が動かない。

   だけど。
   これ以上、彼を待たせるわけにはいかない。
   雪も、小雪から小雨に変わって来ている。
   これ以上、待たせていては、さすがに風邪をひいてしまう。
   勇気を出して、一歩、また一歩。
   溶けてぐしゃぐしゃになった道を転ばぬように、踏みしめる。
   一歩、また、一歩。
   そうして、彼の前に立って、初めて彼の視界に自分が入った。

   「?」
   駅の改札員も、長いこと待っている彼が気になっていたようで、
   ようやく待ち人が来たのかと、安堵の表情を浮かべているのが目に入る。
   彼が待っていたのは、違う人なのに。
   どうして、と驚いた顔をする彼に、何と言っていいのかわからず、
   黙って件のチケットを差し出す。
   驚いた顔は、一瞬にして諦めにも似た顔になる。
   「断られちゃったか…。ま、そうだよな。」
   彼が悪いわけではない、と首を振る。
   「渡さなかった。」
   また、彼は驚きの表情を浮かべる。
   めまぐるしく変わる彼の表情。なのに、あの嬉しそうな顔は見せてはくれない。
   あたりまえだ。全て自分のせいなのに。
   いくらでも、渡せなかった理由は挙げられたはずなのに、
   どうして、と怒った風でもなく、問う彼に、嘘をつくことは出来なかった。
   そうして、あのたわいもない理由を口にする。

   「渡したく、なかったから。」
   彼女にも、他の誰にも。
   そう、最後の言葉だけを飲み込んで。

   それがチケットのことを言っているのではないことに、気が付くほどであれば、
   自分に預けたりしない。
   それならば、いっそ、自分勝手な振りをして、渡さなかった、と思われたほうがいい。
   そう思っていたのに。
   「ごめん。」
   彼の口から出たのは、思いがけない言葉。
   「おかしなこと頼んだ俺が悪かった。ごめん。」

   彼が謝る必要なんかない。全部自分が悪いのに。
   謝罪の言葉を口にしようとすると、彼の言葉に遮られた。
   「だってさ。の顔、真っ赤じゃん。俺より前から、ずっと外にいたんだろ。
    すぐそこにコーヒーショップだってあるのに。
    店の中で待ちぼうけしてる俺の阿呆面眺めてたってんなら、怒るけどさ。
    俺が変なこと頼んじまったから、困ったんだろ。」
   彼は、悪かった、というように、目の前で手を合わせた。

   「なんか段々、鞄の中のチケットが重くなっててさ。
    見込みなんてないのに、チケット買っちまってさ。
    鞄開けたら、雪みたいに溶けて無くなってればいいのに、って
    そう思ってたら、お前が持って行ってくれて。
    随分軽くなったんだ。」
   まるで、自分に謝る暇を与えないかのように、彼は、話し続ける。
   本当は、ずっと、チケットが重たくて。軽いはずなのに重たくて。
   だけど、彼の自分を気遣っての優しい言葉に、自分の心も軽くなる。

   彼の頬の赤さに、今の状況を思い出し、ともかくも店の中に入ろう、と、
   先ほどから張り込んでいた店の方に向かう。
   「チケット、結局、こういう運命だったんだな。」
   がさり、とポケットの中から、もう一枚のチケットを取り出して。
   彼の手の中で、細切れにされた紙切れは、店の前のダストシュートに
   はらはらと、儚く消えていった。
   白い粉雪のような、きっとそれは、今年の最後の雪。

   この雪が溶けたら。
   もうすぐ、春が来るはず。
   今度は二人で、コーヒーショップの窓から外を見ながら、
   春を待ち続ける。




  ドリーム小説神尾アキラ編。振られる神尾はツボなんですが、ちょっと可哀想かな…。
  2004.2.29

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