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 桜染


   この部屋に来るのは、幾度目だろう。
   「勉強会」と称した理由など無くても招かれるようになり。
   初めて足を踏み入れた時よりも、緊張感も薄れ。
   時折別の緊張感が漂うこともあったが、それは決して居心地の悪いことではなく。
   窓から差し込む日差しは、部屋の主の微笑にも似て柔らかく、
   春の気配を漂わせていた。
   「お待たせ、
   金属製の音を微かに立てながら、が机にお盆を置いた。
   暖かいお茶にお茶菓子を添えて、自分に勧める。
   春といえども、まだ風は冷たく、外から来たばかりの自分の身体を一口のお茶が、
   芯から温めてくれる。

   この家に来ると、どうにも餌付けされているような気がしてしまう。
   そう、目の前に置かれた桜餅を見つめながら思う。
   『家族が甘いものが好きでね。』と話す彼自身はあまり甘いものは好きではないのかと
   思っていたけれども。
   の母が手ずから作ったと言う、職人顔負けの菓子を見るにつけ、
   無碍には出来ない、と口にしているうちに、甘いものも好きになったとか。
   出してくれた桜餅も、手製なのだろうか?
   店で見かける薄桃色の桜餅でなく、餡を入れた白いもち米が桜の葉に包まれている。

   「あ…」
   手にするだけで、桜の香りが鼻孔を擽る。
   桜色ではないけれども、桜の花の香りの成分が入っているのだろうか?
   そう疑問を口にすると、が笑いながら答えた。
   「桜餅の香りはね、餅自体じゃなくて、桜の葉の方。桜の葉を塩漬けにすると、
    独特の香りが出てくるんだ。桜の花の匂いじゃないんだよ。」
   よく知っている、と感心していると、がぺろりと舌を出した。
   「なんてね。受け売りなんだけど。」
   その仕草は少し子供っぽくて、彼の知らない一面を覗かせた。

   「小さい頃、裕太、弟がさ、桜餅の葉が嫌いだって言うんで、剥がして
    食べてたんだ。子供の頃ってそういうことあるよね。
    そうしたら、母さんが、その話をしてくれて。ちゃんと一緒に食べなさいって。
    桜餅を桜の香りに染めているのは、その葉っぱなんだからね、って。」
   そういうと、ぱくりと桜餅を頬ばった。
   実のところ、自分も桜餅の葉は苦手だったのだけれども、
   そう言われて目の前で美味しそうに食べられると、言い出すことは出来ない。
   恐る恐る、葉っぱごと一口食べてみる。
   「…美味しい…。」
   ほどよい塩気が口に広がり、餡の甘みが増したような気がする。
   ふと、を見ると、目を細めて嬉しげに熱いお茶を啜っていた。
   本当は。
   本当は知っていたんじゃないのだろうか、自分が桜餅の葉が苦手だということを。

   と付き合いだすようになって、自分が少しずつ変わっていくのが
   自分でもわかる。
   の好きな、自分では好きではないものを好きになろうと努力してみたり、
   そうして、変えられていく自分が嫌いではなかったり。
   桜餅が桜の葉によって、桜の香りに染められているように、
   自分もの色に染められているような錯覚。
   それが決して嫌な感覚ではないのは、この心地よい場所のせいなのだろうか。
   主にも似た暖かな…。

   「、顔に餡子がついてる。」
   ぼんやりと考え事をしていたため、一瞬何を言われたのかがわからなかった。
   「ほら、ここ。」
   ふいにの顔が近づき、右手で自分の頬を押さえると、
   口の端を親指で拭いた。
   「あ、ありが…」
   目の前にあるの顔にどぎまぎしていると、は親指に付いた餡子を
   ぺろりと自分の舌で舐めた。

   端から見ていたら、自分は百面相をしているのかと思われるほど、
   可笑しな顔をしてしまっていただろう。
   そんなことをされたら、動揺してまともにが見られなくなってしまう。
   「桜色だね。」
   それが自分の頬のことを指しているのだとわかると、咄嗟に右手で頬を覆い隠す。
   これ以上桜色に染まる前に。
   心地よい桜の花に取り込まれる前に。
   「ほら、まだついてるんだから、顔隠さないで。」
   笑いながら、自分の手を退けると、口唇に残る甘い残滓を絡め取った。
   唇に残る感触は、彼の指のものでなく。



   桜に、取り込まれる。
   桜の香りがあたりを染めていく。
   自分の全ては桜色に染められていった。



  ドリーム小説不二周助編。
  2005. 3.12

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