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 桜紅茶


   「新しい茶葉を見つけたので、飲みに来ませんか?」
   それは、頬に触れる風が暖かくなる5月の初め。
   特に何も予定の無い長い休みの中のこと。
   からの誘いに、異を唱えることも無く、寮の部屋を訪れる。
   彼は「紅茶の茶葉を探す」という男子学生にしては珍しい趣味を
   持っていたため、時折、それを披露する機会を設けてくれていた。
   茶葉を探すのが趣味だというだけでなく、彼の入れてくれるお茶は、
   味わい深く、誘われるのはひとつの楽しみになっていた。
   忙しい都会の中で、そこだけは、緩やかな時間が流れているようで。

   「これは、なんだかわかりますか?
   楽しそうに、ポットにお湯を注ぎながら、教師のようには聞いた。
   これ、というのは、もちろん、紅茶のことであろう。
   彼は時折、自分を試すように、問いをかける。
   正しい答えであれば、嬉しそうにうなずき、誤った答えであれば、さらに
   嬉しそうに丁寧に説明をしてくれる。
   基本的に、人に何かを教えるのが楽しくてしかたないのであろう。

   少し少女趣味ともいえるような、花模様のカップに、琥珀色の液体が
   注がれる。
   湯気越しの彼の顔は、期待に満ちていて。
   それは自分が言う答えに対してなのか、入れた紅茶への感想なのかは
   わからないけれども。
   香り立つ湯気は、どこかで知っている。
   桜餅…?
   と、思ったものの、それを口にすることは、雰囲気を最重要事項として
   重んじる彼の気分を害するものであろうことは明白で。
   考えた末に、ひとつの答えを口にする。

   「………桜?」
   「あたりですよ、
   目の前で、ぱん、と手を合わせて、微笑む。
   子供のように、褒められたのが嬉しいのか、それとも、目の前の人物が
   微笑んでくれたのが嬉しいのか。
   自分でもよくわからない感情が湧き上がる。
   それを知ってかしらずか、は紅茶の缶を手に取った。
   「よく桜の葉を入れた紅茶はあるんですけど、これは桜の花弁も入っているんですよ。
    ほら、桜餅の香りに似ているでしょう?」
   缶の蓋を開けると、茶葉に混ざって、薄桃色の花片が見える。
   「ここだと、少し季節はずれな気がしますが、僕の故郷は、これから桜の季節です。」
   は窓の外を遠い目をして見つめる。
   「綺麗なものを、家族や友達と一緒に見られないのは、少し寂しいですね。」

   故郷から遠く離れて。
   いままで一緒に見ていたものが、見られなくなる。
   そんな辛さは、寮に入っている全員が感じていることなのだろうか。
   いろいろなものを振り切って、ここに来ているのだ。
   全てを捨ててきた彼の目は、寂しげで。
   何か、彼のためにできることはないのだろうか。
   遠いこの地で、寂しくならないように。
   彼の心が少しでも晴れるように。
   いつも彼が招いてくれるこのお茶会のように、暖かい気持ちになれるような、
   そんなことは、自分には出来ないのだろうか。

   ふと、思い立って、この紅茶を何処で手に入れたのか聞いてみた。
   「どうしてですか?」
   彼は眉根を寄せて、聞き返す。
   できれば、新製品が入ったならば、彼よりも先に入手して、今度は自分が
   部屋に招いて…。
   そう考えていたのだけれども。
   「内緒です。」
   先ほどまでの上機嫌と打って変わって、不貞腐れたように、答えが返ってくる。
   「一人で楽しもうというのならば、内緒です。」
   かちゃり、と器をソーサーに戻す音が、部屋に響く。

   「好きな紅茶を探してきて、それでもてなすのが僕の趣味です。
    その楽しみを奪おうというのですか?
    それとも、僕の部屋に来るのはそんなに嫌ですか?」
   最初は拗ねたように、最後は少し寂しそうに。
   よばれてばかりいるのは、かえって迷惑かと思っていた自分は、彼の意外な
   一面を知る。
   本当は、紅茶なんてただの口実に過ぎなくて。
   誰かとゆったりとした時間を過ごしたいだけだなんて、口にできなくて。
   もしかして、自分にできることというのは。
   これからも、この部屋に来て、ただ緩やかな時間を過ごすことなのかもしれない。
   そう考えると、また、自然と気持ちが楽になる。

   「好きなものは、好きな人と一緒に楽しみたいですからね。」
   そういうと、彼は微笑んだ。
   それはさっきの桜の話なのか、今の紅茶の話なのか。
   彼の真意はわからず。
   ただ、紅茶の香りに、遅い春を感じた。



  ドリーム小説観月はじめ編。
  2005. 5. 1

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